あるがままの姿で
先日、私は駅ですごい人を見ました。 ベンチに座っている男性が携帯で電話をしていたのですが、電話を両手に1台ずつ、2台持っているんです。 同時に両方の電話に受け答えしていて、すごいなぁ、と見ていたら――彼は1台の携帯を右の肩と顎で挟んで電話を続けながら、右手でカバンの中のものを探し始めたんです。 その時、(ああ、この人、3本目の手が欲しいだろうな)と思いました。
先日、私は駅ですごい人を見ました。 ベンチに座っている男性が携帯で電話をしていたのですが、電話を両手に1台ずつ、2台持っているんです。 同時に両方の電話に受け答えしていて、すごいなぁ、と見ていたら――彼は1台の携帯を右の肩と顎で挟んで電話を続けながら、右手でカバンの中のものを探し始めたんです。 その時、(ああ、この人、3本目の手が欲しいだろうな)と思いました。
生きていくために、私たちは呼吸をし続けていかねばなりません。 呼吸は「気」(プラーナ)を身体に取り入れるという、非常に重要な役割もしています。 しかも、鼻の穴のどちら側で呼吸をしているか、というだけで「気」の流れが変わるのです。 そんな大事な動作なのに、私たちは「さあ、今から呼吸するぞ」なんて考えず、無意識に呼吸をしています。
失うことの怖さから、嘘をついてしまうことがありますね。 嘘をついたときのことを思い出してみてください。 ついた嘘を守ろうと必死になりますよね。 バレるかも…と不安になったり、恐怖さえ感じることも…。
八支則の「ニヤマ(個人的に、守るべき規則)」で、その最後の規則は「イーシュヴァラ・プラニダーナ」です。 どういう意味かという説明はちょっとあとに置いておいて――。 私たち人間はいろんな努力をしたり、いろんなことを考えて行動したりしますが、どれだけ頑張っても、思い通りにならないこともあります。 頑張ったのに、嫌なことばかり起きることだってあります。
ヨガの哲学を説いた「パタンジャリ・ヨガ・スートラ」。 その中に書かれている八支則の「ニヤマ」というのは「個人的に守るべき規則」で、その守るべき規則の一つが「サントーシャ」です。