あるがままの姿で
あるがままの姿で
先日、私は駅ですごい人を見ました。
ベンチに座っている男性が携帯で電話をしていたのですが、電話を両手に1台ずつ、2台持っているんです。
同時に両方の電話に受け答えしていて、すごいなぁ、と見ていたら――彼は1台の携帯を右の肩と顎で挟んで電話を続けながら、右手でカバンの中のものを探し始めたんです。
その時、(ああ、この人、3本目の手が欲しいだろうな)と思いました。
手が3本あったら、アレもしながらコレもできる――確かに便利かもしれません。
必要ではないかも……と思った方も、身近な誰かの手が3本になったのを見たら、3本目の手が欲しくなるかもしれません。
そして、誰かが4本目の手を持ち始めたら、もっと仕事ができるようになるかも、と自分も4本目の手が欲しくなるでしょう。
もう既にたくさんのものを持っているのに、他人が持っていると欲しくなるのが私たちです。
人が持っているものを自分が持っていないと不安に駆られることもある。
人と同じものを持っていないと不利になる気がするから、自分を安心させるためにほしくなる。
でも、実際にそうやって物が増えたり、手が増えたりしたら大変だと思います。
今ある2本でも、右と左手が同時に何か別のことをするのは大変です。混乱しないように神経を使わなければならない。
それなのに、手が3本、4本と増えていけば、もっと混乱するはずです。
物も同じです。
欲しくなって手に入れていくうちに、物が増えすぎて、どれを使えばいいのか迷ったり、置き場をどうすればいいのか混乱したりする――。
そうならないためには、あるものだけで満足するよう、心をコントロールすればいいだけなのです。
八支則にあるように、物に執着したり、人のものを欲しがったり、奪ったりということを考えず、あるがままの自分や環境に満足していれば、混乱することはありません。
そして、今あるものをどう使おうか考えてください。
「あるがままの状態で工夫してやっていくこと」――それが脳を成長させるのです。
あるがままの状態で生きていけるはずなのに、たくさんの情報や物を得ようとした結果、自分を混乱させているのは、私たち自身です。
先ほどお話した駅の男性は、すごく忙しそうだし、移動の短い時間も惜しんで働いている。いろんな人から電話がくる人だから、やり手に見えますよね。
でも、実際はどうなのでしょうね。
あっちもやらなきゃ、こっちもやらなきゃって混乱していると、ひとつのことに集中できないですから……。
あるがままでいい、と自分自身に言ってみてください。
あるがままのあなたは、どういうものを持っているのか。
あなたは、あるがままの姿でどう生きていくのか。
あるがまま、今持っているものだけでどういう工夫ができるのか。
ヨガや瞑想をしたり、神社仏閣で祈ったり、清潔な澄んだ空間に身を置いたりして、そんなふうに自分を見つめる時間を持ってください。
それはきっと、あなたが幸せを感じる時間にもなるのです。
yogi vini